どうも、私です。
独立して2年近くなりますが、やはり生活リズムの乱れは多少なりとも生まれますね。
9時には始業しようとしているんですが、なかなかに難しい。というか弊社まだ2人なので別にいつでも話できるし、定時を決めるのも気持ちの問題なんですがね。
(あ、電話などはいつでもお呼び立てください。起きてる間が営業時間です。)
逆に終業も適当なので、一応18時ごろには夕飯にしますがその後もやりたいことが残ってたらお仕事をしています。残ってなかったらゲームとかしてます。
こんな感じですので社会復帰できるのかと問われるとかなりあやしいラインです。現業で持っていくしかないですね!
サラリーマン時代も私はわりと好きでした。周りの皆様に救われて、好きなことを好きなだけやらせてもらえましたし、仕事をする上で必要な「お金・時間・承認欲求」の全てが満たされてました
ただいま思うとそれはかなりラッキーなことで、世の中にはそうでない組織がかなりあるんだろうなと思います。前職でさえ場所や部署が違ったら状況も全く変わっていたと思います。
組織の中には少なからず、石の上にも三年やら、近頃の若者は根性がない論を持っている人がいます。これには間違いなく生存バイアスがかかっているというのが持論なのですが、それについて考えてみます。
- これを言う人、支持する人は自分自身が三年間留まって頑張った結果、何かを得られた人でしょう。
- 三年間留まらず、別の道に行った人は別のところにいるのでその組織にはもはやいません。
- そうすると、その組織のほとんどの人が石の上にも三年論者になります。
- 自分もそう思うし、身の回りの仲間もそう言っている。これで集団凝集性が生まれ、他の意見を排斥するようになります。
故に、組織の中で「石の上にも三年」や「近頃の若いもんは」論が多数派なのはその組織で生き残った人しかいないからである、という生存バイアスがかかっている。という話でした、
この凝集性はすごく面白い話で、良いのか悪いのかは状況によるため単純な二元論にはできないんです。と続きをかなり書いたんですが紙面も長くなっちゃったので、続きは次回に・・・。
といって読んでもらってるひとにヒキを用意しておいて、次も読んでもらおうとか小賢しいことをして、今回は〆ます。
“俺たちの若い頃はと生存バイアス” への1件の返信